「独立記念日と在外選挙」
 
  7月4日 はアメリカの独立記念日でした。この日を記念して毎年全米各地で花火大会が開かれますが、今年のニューヨークの花火は、イーストリバーと自由の女神の立つリバティーアイランド付近の計5ヶ所をコンピューター回線で結んでの同時打ち上げというかつてない規模のものとなり、我が家のちっぽけなテレビ画面にも30分に渡って色とりどりの花火の輪が広がりました。お祭り騒ぎの大好きなアメリカ人はこぞって、昼はバーベキュー、夜は花火見物、というのがお決まりのパターンで、この日ばかりは朝から晩まで星条旗とアメリカンミュージック一色となります。アメリカ人の「愛国心」というのは、まるでこの日のためにあるといっても過言ではないでしょう。あちこちで熱狂し、歓声を上げる人々を見るにつけ、毎年この日ばかりは無邪気に国の誕生日を祝うことのできるアメリカ人がうらやましく思えます。


話は突然 変わりますが、日本は目下、参議院選挙を一週間後に控え、さぞにぎやかなことと思います。実は私、先日ここニューヨークにおいて、早々と投票を行って来ました。海外においては、去る平成12年にようやく在外日本人の投票権が認められるようになり、大使館または領事館を通じて本人の本籍のある市町村の選挙管理委員会から在外選挙人登録証というのを入手することによって、比例代表に限り投票が可能となったのです。但し、これまでは、一旦自分の本籍地の選挙管理委員会に登録証を送付して投票用紙を送ってもらい、それに記入して再び投票用紙を送付する、といった甚だ手間のかかる方式を採っていたのですが、今回の選挙から、ようやく海外の居住地の大使館または領事館において直接投票ができるようになりました。勿論、これも従来通り比例区のみではありますが、大きな進歩であることは間違いありません。とにかく海外在住の日本人がやっと手にすることのできた素晴らしい権利なのです。
 

扱いとしては 多分不在者投票と同じようなことになるのでしょうか、日本の投票日までには各地の選挙管理委員会に到着している必要がありますので、当然投票日(投票期間)は前倒しとなります。今回は6月25日から7月4日まで10日間でした。なにしろニューヨークでの直接投票は初めてなので、ちょっとワクワクしながらパークアベニューにある総領事館まで出かけていきました。総領事館は普通のオフィスビルの18階にありますが、ビルの入口を入ったとたん、日本語で「投票所」と書かれた大きな貼紙が目につきました。ロビーには机を並べ受付の女性が3〜4人座っています。一瞬「あれ、ここで投票するのかな?」と思ったらそこは受付だけで、まず到着時刻と名前を記入させられます。私が行ったのはお昼をちょっと過ぎた頃でしたが、その日は朝から既に10名以上の人が投票に来ているようでした。名前を書くと、係りの人が18階の総領事館までエレベーターで案内してくれるのですが、申し訳ないけれど、案内されているというよりむしろ連行されている、といった感じ。18階に着くと、セキュリティ・チェックのゲートを通って投票所に通されます。まずは、選挙人証とパスポートを見せて本人確認です。そこではまだ投票用紙はくれません。くれるのは「投票用紙等請求書」と「送付用封筒」だけ。「送付用封筒」には自分の本籍地の選挙管理委員会の住所を宛先として書かされます。この宛先の書き方も決まっているようで、逐一指導を受けて書き終わると、記載間違いがないかどうか入念にチェックされます。そして、渡された投票用紙等請求書と封筒を持って次の部屋に行くと、そこにもズラーッと係りの人が並んで座っています。まるで関所のようで、居心地の悪いことこの上もありません。どうもその時は投票に来ていたのが私一人しかいなかったので、係りの人たちの視線が全て私に集中しており、どの人の所に行ってよいものやら困ってしまいます。ようやく一人の女性の前に進み出て、前述の請求書と送付用封筒を渡すと、ここでやっと「投票用紙」と、これを入れる大小の封筒をいただくことができます。それを持ってすぐ前にある投票台で政党名または比例区から出馬している候補者名のいずれか一つを記入するわけです。まるで一挙手一投足監視されているような視線を背中に感じながら何とか書き終えると、その投票用紙をまず小さな封筒に入れ、それをさらに大きい封筒に入れて封を閉じ、最後の関所である、部屋の奥に並ぶ受領係の人に渡しておしまいです。あとで係の人がそれをさらに最初に書いた送付用封筒に入れて書留で送付してくれることになっています。(つまり、一枚の投票用紙を計3重に封入して送るという念の入れようで、あれを開封する人はもしかして、タマネギの皮を剥き続けるチンパンジーのような気分になるのではないかと思うと気の毒です。)


いやあ、 それにしても投票所に出向いての選挙なんて実に20何年ぶりです。久々にあの雰囲気を思い出しました。顔見知りの近所のおじさんやおばさんが、あの日ばかりは他人行儀の気難しそうな表情で投票用紙を渡してくれたっけなー。日本と違って、折り畳んだ投票用紙を投票箱にコトンと落とす、あの快感を味わうことはできなかったけれど、日本人としてやるべきことをやったというささやかな満足感に浸ることはできたような気がします。
 

今回の参院選 はどうなるのでしょう。恐らく投票率はさらに低くなるかも知れません。「投票したい人がいない」だの、「誰にも期待できない」、「どうせ投票したって何も変わらない」と言いたい気持ちもわからないでもありません。でも、権利を自ら放棄するからには、先行きがどうなっても何も文句を言う資格はない、ということも事実でしょう。日本は確かにだんだんとひどい方向に流れて行くようで、外から見ていると心の痛むことは多いけれど、それでも希望を捨ててはいけないと思うのです。選挙というのは、自分の国の未来にごくごくささやかながらも「一縷の望み」を託すということではないでしょうか。何もしなければ何も変わらないでしょう。もし迷っている方がいらしたら、とりあえず投票に行きましょうよ。


日本では もはや「愛国心」なんて言葉は死語と化してしまったかも知れません。日本語で「国を愛する」などというといかにも前時代的であり、下手すると誤解すら招きかねません。「愛国心」などというとすぐ、やれ「日の丸」がどうの「君が代」がどうのと短絡的に結び付けて騒ぎたがる人も中にはいるようですが、「日の丸」も「君が代」もいいではないですか。私は別に右でも左でもないけれど、たまたま20数年間をアメリカで過ごしたとはいえ、20ウン歳までは日本で生まれ育った、外見も中身も「日本」が染み付いた、日本が大好きな「日本人」です。そして、やはり自分の国は、いつまでも「愛すべき国」であって欲しい、と願っています。「愛する」なんて言葉が気恥ずかしいのであれば「好きな国」でいいと思います。アメリカ人達が大きな声で “I Love America!” と叫ぶがごとく、日本人皆が、日本を好きだと思えるようになってくれたら、素晴らしいことだと思うのです。「好きな国」というのは間違いなく「いい国」なのですから。
 

これまた独立記念日 には毎年恒例となっている、ニューヨークのコニーアイランドでのホットドック食べ放題コンテストで、並みいる巨漢達を相手に優勝したのは、今年も日本から来た小柄な日本人青年でした。これもまた何かとても象徴的な話ではありますね。
 

  2004年7月6日

相 場 育子   


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