「おーい、大丈夫かー、日本?」
 
  毎度のこと ではありますが、日本に帰国するたびに耳にする新しい言葉や目にする光景などに驚かされたり、腹を立てたり、呆れたり、笑わされたりすることがよくあります。ある時はテレビのCMだったり、若い年齢層の人たちと話をしている時であったり、たまたま街で見聞きしたり、と機会は様々ですが、時には思わず先行きが心配になるような出来事に出くわすこともあります。今回は、この春に帰国した際に少々びっくりさせられた話題をいくつか取り上げてみたいと思います。


◆相手を選んでネ…

東武伊勢崎線 で足利から浅草に一人で帰って来た時のできごと。駅の構内で、見るからにアメリカ人観光客と思しき年配のカップルが二組、地下鉄の地図を手にキョロキョロしています。東武線の浅草駅では毎度お馴染みの、浅草観光もしくは日光帰りと思しき外国人観光客が、道がわからず困り果てているといった光景です。ここで無視を決め込んで素通りすることのできないのがおせっかいオバサンの困ったところです。思わずしゃしゃり出た私が「どちらに行くんですか?」と英語で尋ねると、どうやら新宿まで、それもJRではなく地下鉄で行きたいとのこと。そして、都営浅草駅から浅草線で東日本橋に出て、都営新宿線に乗り換えれば新宿に出られる、というところまでは辛うじてわかったのですが、肝心の都営浅草線の乗り場がどこなのかわからない、というのです。都営浅草線の駅は、外国人でなくとも確かにわかりにくい所にありますが、たまたま私自身も同じ線で帰るところだったので、どうせなら東日本橋の駅までご一緒しましょう、ということになり、都営浅草駅に向かってツアーコンダクターよろしく、大喜びする彼ら4人を先導して歩き始めました。
 

それでなくとも ごちゃごちゃして歩きにくい浅草駅周辺ですが、折りしも三社祭の最終日とあって、その日はことのほか祭り見物の帰りの人でごった返していました。「はぐれないようにね。」と声をかけながら、道々、「私たち二人はニューヨークから、この人たちはアリゾナから来て、中国で合流した後、今朝東京に着いたの。」「あれ、私もニューヨークに住んでるんですよ。市内ですか?」なんて話で盛り上がったところに、日本の駅前では必ず見かけるティッシュペーパー配りの若い女の子が私のすぐ横を歩いていたアリゾナのボブさんにティッシュペーパーを手渡しました。それを手にしたボブさんが、私に「何これ?」と尋ねます。「ティッシュペーパー。宣伝用ですよ。」と教えると、全然興味ないといった様子で「俺、いらないから。」と言って私にくれました。「あ、ありがとう。」と受け取ってチラッと見ると、なんと、なんと、それはかの駅前留学を謳っている英会話学校の宣伝用ティッシュではないですか!なんで、よりにもよって英会話学校のティッシュをアメリカ人観光客にまで配るの?ネイティブのイングリッシュ・スピーカーに英会話学校の宣伝をしても全然意味はないと思いませんか?思わず、何年か前、母親と一緒に横浜駅前を歩いていた時に、私が受け取ったエステサロンの広告入りティッシュをもらえなかったウチの母親が非常にむかついていたことを思い出してしまいました。あれはやっぱり相手を見たんだな、間違いなく…。


それにしても、あの時、 ボブさんが私に「宣伝用って、何の宣伝?」などと突っ込みを入れてこなくて本当によかった。万一彼が好奇心旺盛で何にでも興味を示すタイプのアメリカ人で、「何で、宣伝にティッシュペーパーなんだい?」とか、「英会話とこのウサギはどういった関係なんだ?」とか「俺だけにこれをくれたってことは、俺の英語に何か問題があるってことなのか?」なんて質問攻めにされたらどうしようかと一瞬本気で心配してしまいました。東日本橋の駅で彼らと別れるまで、「そういえばさっきのティッシュペーパーなんだけど」なんてボブさんが蒸し返して来ないかと正直気が気ではありませんでした。最後にもう一度言わせてもらいますが、ティッシュ配りのアルバイトのお嬢さん、宣伝だからといっても、少なくとも渡す相手は選んでネ。


◆喜んで!

都内の某有名デパート に入っている和食の店でダンナと母親の三人で昼食をとった時の出来事です。日本での暴飲暴食が祟って消化不良気味だったダンナが食後に胃腸薬を飲みたいというので、ウェートレスを呼び止めてお水を頼みました。その時、彼女の言うには「お水ですね、はい、喜んで!」何を言われたのか俄かには理解のできなかった我々、ややあってから「今、あの子、何て言った?」「『ハイ、ヨロコンデ』って聞こえた。」「やっぱりそうだよね、『ヨロコンデ』って言ったよね。」「っつーと、英語でいうところの “My pleasure”ってとこか。」などと、顔を見合わせて感心するやら呆れるやら。きっとよほど古風な家に育ったに違いない、とか、両親、いやきっとおばあちゃんがえらく躾に厳しい人だったのだろう、とか、いや、もしかしたら「よろこび教団」とかいう新手の宗教団体のメンバーかも知れない、それにしても「喜んで」なんて普通の人は言わないし、言われた方も居心地悪いよね、などと勝手なことを言い合っているところに、後ろの方で他のお客さんと別の男性の店員のやりとりが聞こえてきました。(客)「お茶くれる?」(店員)「喜んで!」、と言っています。そう、何のことはない、「喜んで」というのは古風な家でもおばあちゃんの躾でも、ましてや宗教団体でもなんでもなく、この店の「マニュアル接待用語」だったのです。要するに、お客様から何か依頼を受けた時には、ただ単に「はい」とか「かしこまりました」ではなく「喜んで」と答えるべし、その方がはるかに誠心誠意尽くしています、という態度の表明になるのである、と、少なくともこの店のオーナーは信じておられるらしい。しかしながら、日頃そのような言葉を言われつけない客の立場にしてみれば、どことなく空々しいというか、わざとらしい印象しか受けません。おそらくそれが彼ら、彼女らにとっても「自分の言葉」ではないというのが見え見えだからでしょう。やはり、サービスも「過ぎたるは及ばざるがごとし」です。普通の言葉でにこやかに応対してくれればそれでいいのですが、反面、「普通の言葉」で「にこやか」に応対のできない人たちがあまりに多いから、こうした過度の(過激な?)マニュアル用語が横行するのでしょうね。
 

ひるがえって 考えてみれば、いかなるシチュエーションであれ、あいば家においては、よほどあらたまった手紙でもない限り、口が裂けてもそのような言葉が発せられることはまずもってない、ということは断言できます。「水持ってきてくれる?」「自分で持ってくれば」、「ちょっとさー、足もんでくれないかなー?」「しょうがないねー」、「あの、ちょっとお願いがあるんだけど…」「今、忙しいのっ」、とまあ、現実はこんなもんです。奥様はサービス業ではありませんので。
 

◆いらっしゃいませ、こんばんはー

もうひとつ、 フランチャイズ店の業界マニュアル用語ということで言えば、最近少々鼻につくのが、店に入ったとたんにあちこちから一斉に浴びせられる「いらっしゃいませ、こんにちはー(こんばんはー)」というのを尻上がり口調で叫ぶ挨拶です。「いらっしゃいませ」だけで十分と思うのですが、どうもその後に「こんにちはー(こんばんはー)」と言われると、何だかこちらもお返事を返さなくてはいけないのではないかという気になって落ち着かないのです。
 

コンサートの後の 打ち上げで、仲間たちと一緒に都心のある居酒屋に行きました。結構あちこちで手広くフランチャイズ展開をしている大きな店です。その日は週末の夜ということでもあり、ほぼ満席の店に入ったとたん物凄い熱気と喧騒に包まれました。我々は20数人という大所帯のため、個室を予約していたのでしたが、先陣隊にやや遅れて我々が店に着いた時、入口近くのレジのあたりが既にごった返しており、入る客と出る客が入り乱れてしばらく身動きが取れないほどでした。ようやく、帰る客が一段落したのを待って、近くにいたウェートレスを呼び止めて「あの、予約している者なんですが」といって案内を頼んだのですが、「少々お待ちください」と言ってさっさと奥に引っ込んだまま、またしばらく待たされます。ようやく戻って来た彼女、よほど忙しかったのか実につっけんどんな態度で「何名様ですか?」と聞くので「20人位だったと思います」と答えると、ニコリともせず、「こちらへどうぞ」といってやっと案内してくれました。座敷の入口で「ここで靴を脱いでください。脱いだ靴は、その靴箱にしまって、札を取ってご自分で持っていて下さい」という、終始ぶっきらぼうな彼女の指示(というか、殆ど命令)に従い、これでようやく仲間と合流できたと思った瞬間、彼女突然思い出したように、我々の背中に向かってボソッと一言、「いらっしゃいませ、こんばんは〜」と言ったのです。いかにも、言うべき言葉を言うべき時に言い忘れていた、もしくは言うきっかけを失っていたので、とりあえず今言いましたよ、と言わんばかりですが、あまりにマヌケです。呆れるというのを通り越して、何か信じがたいような気持ちになって来ました。あのねー、いくらマニュアルに書かれているからといって、それは違うでしょう。言葉には発するタイミングもありますが、何よりもそれが自分の言葉として語られているかどうかが大事なのです。そして、接客業において最も要求されるのが客に対する態度です。どんなに混みあっていて忙しい時であろうと、ぶっきらぼうやつっけんどんな態度はいけませんよ、ほら、「スマイル、¥0」なんていうのをわざわざ売り物にしている所だってあるじゃないですか、などと面と向かって彼女に説教垂れるほど「嫌味なおばさん」には成り下がっていない私としては、何となく釈然とはしないものの、その後の駆けつけの一杯でとりあえずは溜飲を下げたのでした。あああ、それにしても!


◆ピンク星人と原色星人とMr. Nobody

一時期日本で 「ガングロ」とか「山姥」などと称されていた真っ黒い化粧の少女たちが出没していたことがあります。最近その姿をめっきり見なくなったと思ったら、先日横浜駅にその流れを汲む残党と思しき少女二人連れがいたのです。ただ、「ガングロ」族に比べるとやや肌の色は明るめで何となく素顔は彷彿とさせる程度の化粧。それでも十分驚くには値するほどでしたが、何にもましてギョッとさせられたのが、そのコーディネーションの凄まじさと、異様な風体です。まず、一人は全身ピンクなのです。そう、全身、つまり、逆立てた髪の毛から、アイシャドー、チーク、口紅はもちろんのこと、着ているタンクトップにロングのスカート、コケないかと心配になるくらいヒールの高いサンダルからバッグに至るまでことごとくピンクで固めていたのです。年齢、国籍不詳、「ウワッ、ピンク星人だ〜!」と思わず心の中で叫んでしまいました。もう一人の方も、そこまで徹底したコーディネーションではないものの、基本的なコンセプトは同じようなもので、こちらは真っ赤なハイライトを入れた髪の毛にポジとネガの反転したような化粧、とりどりの原色をふんだんに使ったぴちぴちパンツにやはり真っ赤な危なげなサンダルといったいでたちで、およそこれ以上派手にしようがありません、といった風体です。「こっちはさしずめ、原色星人といったところだな〜。」それだけでも十分インパクトの強い二人なのですが、さらに異様だったのは、昼下がりとはいえ結構人通りの多い根岸線のホームの、それも線路際にかなり近いあたりの床の上に飲み物のペットボトルやお菓子の袋を広げ、二人して座り込んで(椅子じゃありませんよ、床の上ですよ!)電車を待っている姿です。ピンク星人の方はロングスカートとはいえ、恥ずかしげもなく大股を開き、周りにいる人のことなど全く眼中にないといった様子のうつろな表情で、原色星人の方は、携帯を片手にボーっと座っているのです。近くを通りかかった人たちは一様に彼女たちの周りを避けるように歩いて行くので、余計そこだけ特別な「聖域」のような空間になっています。しかも、別段彼女らに興味を示すような様子もなく、誰もが何も見なかったかのように、周辺に佇んでいるだけです。(興味深く遠目で眺めていたのは私くらいだったかも?)
 

やがてそこに 電車が入って来ました。そこで、彼女たちだけ電車に乗らずに座り続けていたのならもっと異様だったのでしょうが、そこは当然のように立ち上がって大船行きの電車に乗り込んだのです。ところが、その際に彼女たちは、床の上に置いていたペットボトルとお菓子の空き袋をこれまた当然のようにその場に置き捨てて行ったのですよ。それを見たとたん、おばさんはキレそうになりました。別にどんなに奇抜な格好をしていてもいいのです、他人に迷惑さえかけなければ。でも、やっぱり、マナーだけは最低守って欲しかった。そして、それを口に出して注意もできず、遠目で眺めながらムカついているしかない自分もまた情けないと思いつつ、ホームに置き去りにされたゴミだけがいつまでも心に焼き付いていました。
 

彼女たちの格好 について云々言うつもりは毛頭ありませんし、勿論、こんなことは日本だけの現象ではありません。アメリカにだって、度肝を抜かれるくらい奇抜な格好をした連中や、マナーもモラルも全くなってないような連中は掃いて捨てるほどいます。でも、一方で、さすがに目に余る時には正面きって注意したり、真っ当に怒りを表したり、或いは困っている人や迷惑をこうむっている人がいれば率先して助けに行くような人々の多いことも、これまた事実です。自らの身に危害の及ばない限り(或いは時には危険と知りながらも)、見て見ぬふりを決め込むということは滅多にありません。ところが、最近の日本人を見ていると、誰もが皆、「その他大勢」の「傍観者」です(私も含めて?)。どこで誰が何をしていようと、自分には関係がないとばかりに “Mr. (Miss) Nobody” という透明人間のような存在になってしまうようです。何をやるのも自由、誰も何も言わない、だから何をしたって勝手でしょ、という構図は、今にどこかで全く歯止めが効かなくなる危惧を孕んでいるような気がします。そして、さらに恐ろしいのは、どこで誰が何をしても、腹も立たない、悲しくもない、感動もなければ喜びもない、何も感じないくらい、皆感覚が麻痺してしまっているように見える、といったことです。血の通った人と人とのコミュニケーションというものがおよそ感じられない、冷たく希薄な人間関係しか存在しないような社会になりつつあるのではないかと想像すると、日本という国の将来に非常に暗澹たるものを覚えます。いや、もしかしたら日本は既にそのような「アブナイ」国になってしまっているのかも知れません。
 

日本に行くたび に「おーい、大丈夫かー、日本はー?」と叫びたい衝動に駆られてしまう私は、果たしてまだ日本人なのでしょうか?
 

  2004年7月

相 場 育子   


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